16年が経過。まだ終わってはいない。主犯は姉夫婦。
離婚して10年になり、元妻からメールが届きました。1年前の年末。元義父の訃報でした。
結婚当時、元妻は母姉からのいじめで毛髪は抜け、胃腸を悪化し何度と寝込み、体重は激減し脂肪がまったくなくなり、目の下は黒くなり、精神異常になり、よからぬ集いに救いを求めたり◯◯が治るとお金を求められたりと、耐えられない酷い状況にいました。両隣に住む母姉との生活環境が原因ですので、私はすぐさま法的な判断で解決をしたかったものの彼女は裁判する事に反対し、母姉の改心を願っていました。宗教に肩入れしたように見えました。
今後の親子紛争を考えれば環境は改善見込めず、私は戦う事を半ば決めていたため、離婚に至りました。私はこうした絶望生活の中、解決に向け母親に対して損害賠償請求訴訟を行いました。道のりは大変長く、大変な労力が必要でありました。
離婚後、会話ができなくなって久しい頃、元妻は裁判の重要な証人になっていました。弁護士を介した会話のみであったので文書のみです。それでも私は大変熱い気持ちになりました。そして、今10年ぶりの直接会話です。
メールが届いた同じ時、私はかつての膨らんだ借金を損害賠償請求で大半を減らし、裁判費用もまかない、残った借金を日々返済し続け、ようやく完済した、その時でした。借金はこれでゼロです。長い長い緊張がようやく終わった時でした。
まさにそのタイミングで連絡が10年ぶりに来たというわけです。嬉しい連絡をしたかったなかで義父が他界しました。一歩も二歩も遅かった事を知りました。大変心を寄せてた義父でしたので悔しくてなりませんでした。
1週間後、私は返信をしました。しかし、もはや次の返信はありませんせした。
1年がたち今年の先日、元妻から再度メールが来ました。私からの返信をその後1年間見れず、ようやくメール開封できたといいます。義父への思いについても語ってもらえました。完済について、大変喜んでくれた内容です。伝えたい、という強い思いを感じとりました。
開封まで1年。この重みには、心が痛い。
なぜ私達夫婦が離婚しなくてはいけなかったのでしょうか。必死に働き稼ぎ、親姉の親身なアドバイスにのり親の老後を考え実家横に家を建てただけです。その家を建てたがゆえに別れたわけです。問題が起きた16年前の彼女はまだ20代でした。
警察も法律家も放棄する家庭内事案、必要とする人に解決できる法律を、弁護士がやる気になる法律を、国は作るべきです。私のような被害者は銭なさすぎて活動などできませんので読んでいただいた方にまかせるしかないです。
彼女は離婚時、これからについて「戦友だからね」と言ってくれました。私は、ただただ普通の夫婦でいたかったです。
困難な生活からまずは逃げれる状況を作るために行った損害賠償請求訴訟。復讐はその訴訟の中身にすでにあります。金の恨みは金で復讐をする。すでに始まっています。姉夫婦への時限爆弾。
ブログ再開に向けようと考えています。闘争心と恐怖心でしかなかったこの10数年を振り返るのは強い心が必要ですが、そろそろ出来ると思っているからです。時間がかかるかもしれませんが、書きかけ仮タイトルが数十あり、裁判に関わる重要なノウハウなど、誰かの参考になるように、記録のつもりで書きたいと考えています。
このブログは続きます。
ーーー上記内容は今後編集するかもしれませんーーー
※弁護士の見つけ方でお悩みの方、損害賠償請求での解決法を模索してください。請求額が大きく証拠があり加害者に支払い能力があれば弁護士の一斉見積もりで手があがります(弁護士が集まる無料総合サイトがベスト)。着手金等へのサポートはあり、私は元手のお金ゼロ円で訴訟を行っています。法律によるお金での解決が復讐の一歩です。